ソニー幼児教育支援プログラム 幼児教育保育実践サイト
保育のヒント ~科学する心を育む~
一人一人の子どもたちの興味・関心にどのように寄り添っていますか?
1人の子どもが家からもってきた1つのミカンの種……。この種への思いが、子どもと保育者を、そして子ども同士をつないでいった事例をご紹介いたします。子どもの気づきをとことん待つこと、答えを導き出さないこと、思いに丁寧に寄り添うことなど「科学する心」を育むために大切な保育者の援助の在り様が伝わってきます。
「科学する心」の育ちは、長い期間を経て捉えることができるものもある。本事例では、一つ一つの出来事は些細なことであるが、その環境と1年関わったAさんと、周りの子どもたちが変化していった様子を記録した。また、その時期ごとに「科学する心」につながる保育者の援助についても探っていった。事例の5歳児クラスは、4歳児からクラス替えはないが、担任は変わっている。Aさんは進級前から仲の良い友達と誘い合いって遊ぶことが多かった。担任に積極的に話しかけたり誘ったりする姿はあまりなく、担任は明るく話しかけてもあまり反応が無いAさんとどのように関係を構築していったらよいかと考えていた。
進級した翌日、Aさんは何かをビニール袋に入れて持ってくる。
A児の表情から、少しずつ距離を縮めていった方が安心して関係を築くことができると考えた。子どもの姿や表情から読み取り、その子ども一人一人のペースにあった信頼関係の構築を模索することが、安心できる関係になりやすい。また、A児自身が興味をもっていることに保育者も興味をもち、子どもとともにどうしていきたいかを考えたり、方法を提案したりすることで、A児の思いを引き出すことができた。保育者は、A児が考えていたことが実現できるように、一緒に取り組み、支えることで、ミカンの成長に対してともに期待をもつ仲間のような感覚を味わえるようにした。また、クラスの近くに設置したことで、A児も他の子どもたちも機会があるごとにすぐに観察でき、共通の話題となりやすいようにした。
撒いた種から芽が出始める。初めは1つだけであったが、青々とした芽がポコポコとたくさん生えてきた。A児は時折様子を見に行っては水をやり、はにかんだような表情でじっと芽を見つめている。保育者に気づくと、
ままごとで作ったお菓子を売りに行こうとテラスへ出ると、芽が伸び、本葉が出てきていることに気づく。Eさんが走ってジョウロを取りに行き、水をやる。Aさんは「私見てるからね!」といい葉を触っている。保育者が、よく見ると、アゲハチョウの幼虫が付いている。Aさんは、「あ、幼虫…」と気づくとじっとその動きを見ていた。
保育者は数日前から芽が出ていることに気づいていたが、A児に伝えることはせず、自ら気づく日を待っていた。芽が出ていることに気づいたA児のはにかんだ表情や、すぐに周りの友達にも伝える様子からは、“本当に芽が出た”という喜びと驚きに満ちていた。保育者は、伝えてきたA児の思いを十分に受け止め、共に喜ぶようにした。だんだんと本葉が出てきた頃には、アゲハチョウの幼虫が付いた。A児は、その様子を見ていたが、しばらくしてその場を離れた。保育者は、A児がこの時点で何か感じているのではないかと思ったが、実際に行動に移そうとするまで見守ることにした。
青々と芽吹いていた葉が何者かに食べられていることに気づくAさん。葉が全くなくなったミカンの枝を見つめて呆然としている。
保育者は、倉庫にあった2種類の農作物用ネットを見せる。Aさんは「こっちがいい」と片方のネットを選ぶと、早速プランターにかけ地面との間に挟んで風に飛ばされないようにする。一緒に取り組んでいた、CさんDさんも一緒に付けていく。Aさんは網をかけ終えると「よし、これでオッケー」と言い、遊びへと戻っていった。
幼虫に全ての葉を食べられ、茎のみとなってしまったA児のミカン。A児はショックを受けたと思われるが、自分の中で、それをどうにか意味づけて気持ちに折り合いをつけようとしているように見えた。保育者は子どもの感情の揺れにつき合うことにし、他の子どもとのやりとりを見守った。子どもたち一人一人から出てきた意見を受け止めていくようにし、答えに導こうとしないように気をつけた。またA児がこの状況から鳥に食べられたのではないかと予測をし、ネットを張るという自分なりに考えた行動をとれていたので、少しずつ自分の考えを試してみる自信がついてきているのだなと感じた。
Aさんのミカンに再び青々とした新芽が生えてきた。クラスの子どもたちは、ニワトリ当番に行く際や、Aさんが水やりをしている時などに気づくと、そっと近寄ってきてミカンの様子を観察する。この頃ネットは外していた。よく見ると、少しついばまれたような跡があることにAさんが気づく。
保育者がネットを渡すと、ビニール紐でプランターのまわりを結ぶ。Aさんは、「これでよしっと」と言うと水やりのジョウロを取りに走っていく。
いつの間にか、クラスの子どもたちが集まって、Aさんのミカンの苗を見ている。それまでAさんと一緒に遊んだことはほとんどないFさんが「ほら、これいっぱい出てるんだよ、Aちゃんのやつ」と、懸命にGさんに説明していた。
以前にも同じように食べられてしまった経験のあるA児は、すぐにネットを張るということを思いついて行動した。その後、なんとか育っていったA児のミカンの苗は、いつの間にかクラスの子どもたちが知っている存在となり、その様子を伝え合うまでになっていた。保育者はこの年間を通して育てたA児のミカンの苗にはとても意味があると感じ、保護者に同意を得て、卒園時に持たせて返した。その後、小学生となった今でも、大事に水をやって育てているという。
新型コロナウイルス感染症の影響により、2月いっぱいで保育は突如終了することになった。また、結局A児のミカンは年度初めの思惑のようにみんなで食べるまでいかなかった。しかし年間を通して思いをもって関わり、大切にしていったことで、A児と保育者をつなぐものになり、友達同士のやり取りを生むものになり、最後はクラスの皆共通の楽しみなものへと変化していった。子どもがやってみたいと思った些細なことや瞬間を逃さずに捉え、実現できるように支えていくことは「科学する心」を育てることにつながるのではないだろうか。