秋田 喜代美氏 講演会 演題「科学する心を育てる」ために
<はじめに>
今日は保育や教育学の立場から考える「科学する心」について話をさせていただきたいと思う。保育・教育の話をする時によく使う写真がある。その写真に表されている重要なことは、子ども同士のつながり、写真を撮っている人の子どもに寄せる気持ちのつながり、子どもと一緒になって感動する、一体となって追求していく関係が表れたものであることだと思っている。本日の保育の中でもそのような写真になりそうな姿がたくさん見られた。
<「ソニー幼児教育プログラム」との出会い>
このプログラムの立ち上げ当初、各地域や園の実態に合った日常の保育の積み重ね、日本の保育が世界に誇れる内容、特に自然とのかかわり、環境や科学といった様々なものを活動として含んでいる点、欧米にない保育の良さが表れる実践を支援できないかと提案した。そこから何年も回を重ね、各地の実践が寄せられたり発表されたり、本日の協議会のように「科学する心」というテーマで話し合いがもたれたりしてきた。そしてこれからもさらにもっと密にそういう形での話し合いがもたれるといいと考えている。小学校以上の理科教育を降ろしてきて模した内容を園でやってみるというのではなく、幼児期にこそ培いたい内容であること、また良質な保育実践というだけではなく、科学するという視点での追求があることをこの財団の研究プログラムでは焦点において支援したいと思ってきていた。
今回のうめのき幼稚園の実践では、科学者が先達に刺激を受けて研究をしていくように、小学校の先生から幼稚園の先生方自身がカエルの話を聞いて自ら体験し、その体験を子どもたちに伝えている。そして、5歳児が体験したことが4歳児に伝わっていくという伝承がある。指導し指導される関係ではない。遊びの大事なところは、保育者が指導することもあるが、子ども同士の中で伝わっていく、伝承というメカニズムである。そういう姿が科学という視点の中で見られた実践発表であった。当プログラムでは、そういうさまざまな試みを支援したいと思っている。
「科学する心」という表現に今は抵抗がない方も多いと思うが、本プログラムが始まった頃には「科学する」という言葉はないとも言われた。しかし、子どもの心は動いている中でいろいろなことを感じていて、知識だけではない、そういう動きの部分を大事にしたい。また行政で今、大事にしているのは科学する「力」と言う表現になると思うが、私たちが大事にしたいのは科学する「心」を育てることである。幼児期において大事な力、思考力や生きる力などもあるが、このプログラムで一番大事にしているのは科学の根底にある「心」を育てることである。
うめのき幼稚園の実践で、マイオタマジャクシを飼うことで愛着をもつ・命への思いやりの心を育てるなどの姿が見られたように、科学的な疑問だけではなく、そこにある命に対する「心」を育てることが日本型の保育であり、それが幼児期からの科学ではないか、と思っている。
1.乳幼児保育改革の中での科学する心
今、乳幼児教育への関心が高まり大きく変動する中で、幼稚園教育要領、保育所保育指針が改訂された。その動きの中に、本日のうめのき幼稚園のような保育実践があると思う。思考力の芽生え、他者の考えを受け止める、共通の目的を見いだして追求していく協同という姿が、科学の中で子どもたちに見られた。大事なことは、くらしと遊びの中での科学する心。幼稚園で、また家庭に帰ってから、そして地域の中で、「科学する」ということを考えてみたい。
今ほど乳幼児期の教育が注目されている時代はない。OECD(ヨーロッパ経済協力機構)も、幼年期に質の高い教育を用意することが、生涯学習の基盤を形成することであると言っている。心が感じて、実際にものに触れて、そして追求していくという力を幼児期に付けておくことが、その後の理科や生活科、それだけではなく様々な側面につながっていく。このような質の高い就学前教育及び保育環境で育った子どもは優れた思考力や問題解決能力を発達させる。
< 生涯学習の基盤 >
- 社会的に異質な集団で交流すること
- 自律的に活動すること
- 遊具を状況に応じて使うこと
いろいろな経験をもった友達が交流する。その子それぞれの得意なものが表れ、自分で見通しをもって活動する。いろいろな道具を子どもが状況に応じて使えるようになっていく。時には保育者が調べ、子どもに伝えたいと思ったものと、子どもが出会っていく。そういった、自分の経験だけでは得られないものと出会う、見えないものと出会っていくことが学びであり科学でもある。
今、様々なところで乳幼児期にこそ質の高い教育をすることがいい、ということが言われている。保育は目に見えない。「科学する心」といってもそれがどう身に付いたかはすぐには見えないし、説明もしにくい。しかし、その時期その時期に「はっ」と驚くこと、うめのき幼稚園の実践で言えば「あれ?なに?ふしぎ!」を積み重ねていくことが質の高い教育と言える。海外には幼児期の教育の違いによるその後の生活の違いが示された調査もある。目に見えないように思えるが、乳幼児期の質の高い教育というのは大事なことである。
<保育の質を問う>
- 提供しているもの
環境、教材、活動内容
- 集団の雰囲気
- 自発性発揮の余地
- 子どもに応じる集団編成
- 援助方法
「保育の質」ということがキーワードになっている。例えばオタマジャクシに出会う、ということは多くの園でしていることだと思うが、一見同じように見えることでも、その中でどういう追求をするか、子どもの驚きや子どもの経験をどう保障していくのかが問われてくる。保育の質の自己評価ということがヨーロッパでも行われているが、大事なことは子どもが没頭しているか、子どもがどれだけ深くそこに入り込んでいるか、ということである。
今日、4歳児で転がし遊びに何十分間も没頭していた幼児がいた。そのことはとても大事な経験である。今日そのことをしていた子どももいるし、以前にしていた色水遊びの名残もあったように、いろいろな取り組みができるような環境がある。5歳児では今日はくつ鬼をしていたが、様々な鬼ごっこをしてきて、体を動かしながら、転がる、滑る、速さにふれる関係を子どもが体感していることが分かる会話がなされていた。このような経験の質が問われている。
準備している環境や教材が、本当に子どもが没頭できるものになっているのか、「あっ、オタマジャクシだ」と気付いたことがみんなにすーっと伝わるような集団の雰囲気が作られているのか、どれ位そこに自発性が残されているのかということがとても大事である。教師が熱くなるほど子どもたちに伝えたくなる、それも言葉で、同じ発見をさせたくなるが、この実践の中ではそれぞれの子どもが、そのものと自分のペースで出会っている。
転がし遊びを楽しんでいた4歳児は、始めは保育者が用意したいろいろなものを転がすという体験をしていたが、大きさを変える、転がす、コースのつなぎ目に関心をもつ、長くするというように、関心の内容が変わっていく。途中で一度この遊びをやめ、隣の保育室で友達と一緒に本を見て言葉を交わしながら楽しんでいた子が、その後、遊びの面白さ、集団の雰囲気に惹き付けるものがあったことで、また転がし遊びに戻っていった。そこで、始めは保育者がしていた「つなぎ目を作る」「トンネルを掛ける」ということを自分で追求していくようになる。そこに集団の持ち味や保育者が多様に体験できるように自分で選ぶものが準備されていたので、ある幼児は「転がす物をきれいに並べる」ことにこだわっていた。一見関係のないようなことが、転がす遊びにとっての次の課題となる協働が見られた。そういう関係がつくられていた。このような自発性やその個性に合わせた保育の質が問われている。
<経験の質>
- 質の高い活動、知的満足度、集中力
挑戦、工夫のある遊び、生活のリズム、めりはり
人間関係の質、深い関わり
- 質の高いカリキュラム、構造化されている
過度の構造化をもたらしてはだめ
- 発達の連続性・経験の連続性
<発達の連続性>
発達の連続性・生活の連続性=経験がつながるということ
このことは「科学」ということの中で大事である。そのことを表していたのが今回のうめのき幼稚園の実践でもある。オタマジャクシに出会い、カエルになってまた出会い、1年を通してつながっている。教師があらかじめ準備しているのではなく、つないでいったのは子どもであり、子どもがつないでいったのを教師が見つけたことに価値がある。いろいろな事物との出来事や活動がある中で探求することは、あるところに中心を置きながら一つにまとめていくことでもある。それが子どもが「科学する」ということで、その中に発達のつながりが見られた。
「科学する」というのは、している子どもだけでなく見ている子どもへの伝承につながる。今日見ていた子どもが、明日は自分がしたいと思えるような環境になっているか、刺激を受けながらその子どもの面白さが次の子どもにつながっていくか、など一つの活動の中に様々なことが含まれている。それが当たり前と思うかもしれないが、最初に準備されたものから子どもたちがどうやってそれを伸ばしていくか、自分の追求を始めていくのか、というように一つの活動の中で何層にも豊かな経験ができていくことが、これからの保育に求められている姿である。
<2つのモード>
おぼえる…覚=「見る」が入っているように、視覚と聴覚に訴えかける見方が多い
憶=「心」が入っている、音が入っている、意志の意
今は、テレビ等のメディアにより、見ることによって覚えていくことが多い。両方大事であるが、もう一つ大事なのは、心をもって、意志をもって体全体で憶えていく、そういう経験が科学の中に起こっているということではないか。
本日の保育では、5歳児が、雨天ということで体全体で動きながら自分が跳ぶ、動くということの中で物理的な動き、滑ることや高さによって反作用で起こってくる力の違いなどを体を通して実感していった。4歳児の方が、少し細かなものを追求していた。年齢それぞれに応じて静と動の両面があることが大事なのではないか。
「科学をしていく」ということで、最後に残っていくのは体験であるということなのだと思う。
<保育しようとするのではなく、保育になっていくようにする>
「今日はこれをしよう」と思うだけでなく、子どもが何を追求しようとしているのか、子どもにどういう出会いがあるのかを見始めた時に、援助の在り方が変わる。
遊びとくらしの過程における援助
(発想、実現、見通し、成功と失敗、満足感、達成感)
(1)安定した空間を準備する
(2)子どもが考える余地をつくる
(3)子どもと子ども、子どもと物、保育者と子どもの関係性をつくる
2.科学する心を育てるために
くらしと遊びの中での科学する心を考える。
<科学する心を育てる〜豊かな感性と創造性の芽生えを育む〜>
- 身の回りの出来事に驚き、感動し、想像する心
子どもの姿として考えていたが、保育者や大人が身の回りの出来事に驚き、感動し、想像することが大事である。
うめのき幼稚園の実践には、教師がまず感動し、その感動が伝わりながら子どもと共有されていくということが表されていた。そのことの独自性に感銘を受けた。
- 自然の不思議さや美しさに驚き、感動する心
保育者や大人が雨や風をどう感じるか、子どもが見付けてきた虫に対して面白さを
感じるかで、かかわりが違ってくる。その心で、自然との出会い方は全然違ってくる。
- 命の大切さに気付き、様々な命と共生し人や自然を大切にする心
「心」としているが、日本の幼児教育で大事にしているのは「心」であり「心情・意欲・態度」で表すことが大きな特徴である。アジアの他国のカリキュラムでは「行動することができる」と書かれていて、それが目標となっている。
- 人としての守る道を身につけ感謝する心や思いやりの心
- 遊ぶ喜び・学ぶ喜び、共に生きる喜びを味わう
- 不思議な思い、考える心、好奇心や創造性を育んでいく
- 自分の思いや考えを様々な形で表現したり、考え作り出していく美しさ、やり遂げる意欲
これらのことは、保育者たちに感じてもらいたいメッセージでもある。
表現を「科学」の中に入れているが、アートと科学はつながっている。経験した子どもでなければ描けない、描きながら命を感じているような絵、自分たちで見ているからこそ表れてくるような関係が描かれている。
<幼児教育プログラムが大切にしていること>
- 「心」heart mind
「科学する心」を育てる時に、機能だけを追うのではなく「心」を大事にしたい。
- 子どもの中に「科学する心」が育つ過程、順序性
最初から科学にいかない子どももいる。その子はその子なりの居方で居ながら、友達のしていることを見ている。自分がしていなくても一体感がある。それが、協同しながら一緒に科学していくという中で求められるものである。
- 個性的・創造的な保育
個性的・創造的であるということは、変わった保育、特別な保育ということではなく、その園なりのこだわり、教師の試みが伝わってくる保育。
<「科学する心」ということがどこにあるか>
実践事例集の見出しの変化より(観点の変遷)
| 初年度 |
自然の中、遊びの中、人や地域とのかかわりの中 |
| 2、3年目 |
○感じる、気付く、考える、試す、経験を重ねる、納得する |
| 4年目 |
○感動する、思いやる、 表現する |
| 5年目 |
○変容を捉える、発達を捉える、寄り添って捉える |
事例集も発行の回を重ねる中で捉え方に変化が出て来て、少し長い経過の中で捉えていこうとするようになってきている。これは子どもの育ちと「科学する心」をつなげて考えていることの表れである。
それぞれの園で子どもを見る視点をもち、実態に合った実践をすることが、豊かに子どもの育ちの芽生えを見つけていく保育者の姿である。
小中学校になると概念的、抽象的な言葉で表されることが多くなるが、子どもの実感 の出ている言葉、子どもが物や事に触れた時の具体的な言葉を捉えることが、子どもと 子どもをつないだり、子どもと物がつながっていく時の鍵になる。
<うめのき幼稚園 成長>
| ○発見・気付き |
成長への期待 |
| ○感動いっぱい |
専門知識の発揮 |
| ○さらなる興味関心 |
共感・興味関心の継続 |
| ○成長・再開への期待 |
成長への期待、いたわり |
子どもの経験の見通しをもつ
長いスパンの育ちを保育者が見通しをもっていくことが大事。見通しがあるから可能性が見えてくる。子どもの動き、動線が見えていると、必要な援助がその時にできる。その見通しがないと後追いの保育になる。見通しをもって子どもと共に追求していくから、子どもと共に楽しみ、子どもの面白さ、可能性に気付いていける。子どもの経験への見通しが、専門家を頼むこと等でさらなる驚きや感動を生み出している。これは先回りしていく保育ではない。見通しをもって待つくことで可能性が見えてくる。
長期的に見る目とその場で子どもが感じていることを捉えて環境を設定していくことの両面が必要。感じられる感性をもつことの大事さ。子どもの動きに対してどのような言葉を掛けるかで、ものとの出会いや発見が生まれてくる。
保育はこなしていくものではなく、いつも何か出来事が起こりそこに応じていくということ。教育も同じだが、そこに寄り添うことが新たな出会い、感性をつくっていくことになる。今の子どもたちのクリーンでシンプルな生活の中にあって、園だからできることがある。きたない場面、くさい肥料など、園でしかできない経験を保障していくことが科学をしていく上で大事である。
生活の連続性ということが言われているが、それは家庭生活を引きずってきて、それをそのまま園が引き受けることではない。園の生活の中に家庭から持ち込んできたものよりも面白いものがある、と思わせる質こそが大事。環境を子どもが作っていく。「科学する」というのは、「自然物」とのかかわりだけではない。命との出会いの感動のみならず、道具との出会いなど、他の物からも発見はあるということに目を向けていって欲しい。また、保護者の方とつながりながら科学を考えることも大事。
うめのき幼稚園は、地域や専門家ともつながり、それが子どもの2年間の育ち、経験の深まりにつながっている。
<8歳までに経験しておきたい科学>
○保育者の仕事
偶発的アプローチ
- [保育者が導く科学活動]
子どもが偶然見つけたものを共に考えていくこともあるが、保育者が意図して導いていくものもあっていいのではないか。
アメリカと日本では探求の観点で大事にしていることの違いがある。観察する、疑問に思うといったことは共通だが、日本では実験するなど実際に物に出会うことを大事にしているなどの違いがある。
日本の理科教育では
- 生徒に主体的に考えさせること
- 何をどうしたら自分たちの考えが試せるかを考えること
- 答えは一つではないということ
が欠けているのではないか。
これらを改善するには
- 教師自身が探求の経験をすること
- 探求の経験を教える形に変換すること
- [幼児期の探求体験]
疑問、興味関心、先行体験と結び付けるのに、観ることを大切にしている。科学の中で観ることを大事にしたい。丁寧に観る経験をその年齢相応に付けていくことが科学の出発点である。観る、観察するということはとても大事であると共に、疑問に思った時に自分で実験していくということも大切。
<何ができるだろう>
- 「どうしてかな」と疑問を投げかけたら、子どもは答えが欲しいもの。自分の経験の範囲から、仮説を出してくる。その時に、答えを急いではいけないが、疑問を解決しないでおいたら、子どもたちは肩すかしを食ったような気持ちになる。
- 疑問を投げかけたら、保育者も一緒になって答えが出るところまで探っていくことが大事ではないか。
<教師がもつ2つのポケット>
「創造的な教師には2つのポケットが必要。一つは確かな知識を入れるポケット。もう 一つは不確かな問いを入れるポケット」(ローリス・マラグッチの哲学)
この創造的な教師というのは、科学する教師、探求できる教師と考えている。これは、保育者も同じ。自分も科学的な対象に子どもと一緒に問いを入れていくポケットが必要。
「本当に大切なものは目に見えない。心で探さないとね」( サン・テグジュペリ)
科学というのは目に見える変化を追うものだと思いがちであるが、追求していくことにより、目に見えないところにまで行くのが面白いところ。子どもの「科学する心」を保育者が理解してほしい。
今回の実践発表会で伝えたかったことは、楽しんでいる保育であり、保護者でありたいということ。
科学というと白衣、実験室というイメージをもつ人が多い。そういう孤独な科学者ではなく、市民が一緒になって探求していく市民の科学、生活の中の科学的探究こそ大事ではないか。