記念講演 「日本の将来に求められる人物像」
講師 ソニー教育財団専務理事 ソニーユニバーシティー学長
青木 昭明氏
今日は大きな演題をいただき、それに十分答えられるか自信はありませんが、一つ目は、ソニーの創業者の盛田さんと井深さんによってどういう考えでソニーという会社が興され、どういう従業員がいて、どういう人達が期待されていたのかというお話と、二つ目は、私は大学院と会社に入ってから二度アメリカに赴任し、計11年アメリカにいたことになりますが、そのアメリカと日本の違いについてお話したいと思います。
私とソニー
私は先生と呼ばれるのには慣れていませんが、昔、物理で博士号をとった時は先生になりたいと思っていました。私がアメリカで学位をとり終えた1960年代後半はベトナム戦争まっただ中でした。
私は、大学院で物理の基本的なことを学んでいたので、直接世の中の役に立つというわけではなく、就職にも困りました。アメリカでの就職は難しく、日本で電気メーカーを5社受けました。アメリカナイズされていた自分は、大きな会社は官僚的でやっていけないと思い、ソニーという一番小さな会社に入りました。
ソニーは若い会社と言いながらも、昨年度60周年を迎えました。昨年はソニーの調子が悪かったのですが、「60周年を迎えもう一度生まれ変わっていこう」ということで社員も頑張っております。
私は2年ほど前にソニーの役員を退任し、現在はソニー教育財団の専務理事とソニーユニバーシティーというソニーの社員の幹部候補生のための学校の学長をしております。そこでは、ソニーの創業者の盛田さんと井深さんがどんな考えでソニーを大きくしてきたか、ソニーのDNAと言っておりますが、それらを受け継いでもらうための研修機関としてやっています。私どもの世代が盛田さん、井深さんと一緒に仕事をした最後の世代なので、やはりソニーらしさを若い人達に分かってもらおうと考えやっております。
ソニーの期待する人
ソニーを語る時に井深さんと盛田さん抜きには語れません。新しい商品の開発は井深さんが一手に引き受け、盛田さんは世界中に売り歩くという非常に良いコンビでした。お二人とも理系で、井深さんは早稲田の理工科を、盛田さんは阪大の物理を専攻し、終戦の時は海軍にいました。こういう二人がどういうところで、このような考えをもったかは知る由もありませんが、1946年に井深さんが設立趣意書を書かれました。今でも色褪せず、直筆で素晴らしいことが書いてあります。
“自由闊達で愉快なる理想工場を作ろう”と。“ともかく人の真似をしない、人のやらないことをやろう”というのが二人の信念でした。
1940年代、ソニーは19万円の資本金で20人くらいでスタートしました。小さな企業としてスタートしたので、井深さんは大企業ではやらないことをしようということで、ともかく独自性を追求しました。楽しみながらやろういうことでスタートしましたが当初は大変に苦労しました。
1952年頃より、テープレコーダーを発売しましたが高額なのでなかなか売れず、最終的には小中学校に出向いて売れるようになっていきました。その後トランジスタラジオやトリニトロンTV等が大ヒットして、ソニーは急成長しました。丁度、その頃、社会の恩返しの気持ちも込めて、小・中学校の理科教育振興資金を設立し、それが現在のソニー教育財団の基になった訳です。
ソニーという集団は日本のマーケットより世界のマーケットでやってきました。学歴無用論で、中途採用者が半分もいます。我々マネージメントする方としては色々な人間がいるので難しいのですが、逆に色々な考えがあるからベクトルをうまくマネージメントすると本当に強い集団になります。世の中にない新しいものを産む集団になります。
戦後、文部省は優等生を多数社会に送り込むことが欧米に追いつく為には重要であると考え、個性を育てるより、均質で優秀な生徒・学生を教育することに重点を置いてきました。そのおかげで戦後復興を急速にとげました。目標がはっきりしているときは、そういった教育が大変効率的であったのです。しかし日本が、世界の最先端にきた現在は、目標がなくなりどうしてよいか分からなくなります。この様な時代には、個性的な強いリーダーシップが必要になります。その変化に気付かずにいたこの10年〜15年、日本人は一生懸命働いているのに国力は落ちるし、苦しい失われた時を過ごしてきたと思います。
ここでソニーの話に戻りますが、ソニーは追いつけ追い越せではなく、人のやらないことをしようということで、ユニークなことをしてきましたので、戦後のソニーの運営の仕方は、これからの会社の参考になるのではないかと思います。
学校の教育においても個性を伸ばせるならどんどん伸ばし、社会からすると多様性というかいろいろな考えを持った子どもたちがいて、お互いを認め合えるような社会にし、或いは学校運営にしてもらいたいと思います。最低限の協調性は必要ですが、小学校・中学校のみならず、保育所・幼稚園でもそこでユニークな能力を伸ばしていって欲しいと思います。日本を、多様性を持った個性を受け入れる社会にしていかなければなりません。子どもたちのそれぞれ異なった能力を高めていくことがこれからの日本のリーダーシップをとる人間を育てていくことになると思います。
アメリカと日本の違い
今から考えてみますと、私がアメリカで得た一番の財産は、自分と違った文化を持った国・人間と触れたことです。大学院に行くまでは、私は日本にいましたが、アメリカに対しては、豊かさに対する憧れはありましたが、その強い軍事力によって何でも支配しようをすることに対しては強い反発もありました。しかし、自分の大学の先生とアメリカの大学院の先生が知り合いでもあり、またアメリカの方が研究費もたくさんでるということで留学しました。
アメリカに5年余りいましたが、アメリカのすごい所はユナイテッドステイツというだけあって色々な国の人が集まっているところです。民族、宗教も違う。国土は日本の何十倍もあります。アメリカは格差のある競争社会、分裂しそうな社会と言いつつも、色々な産業でリーダーシップをとっています。結果として世界で一番豊かな国です。IT産業においてもアメリカがリーダーシップをとっています。何故、最先端の領域でアメリカが常にリーダーシップをとっているかを考えてみますと、それはやはり個性を尊重する教育にあると思います。平均的に見れば、米国に比べ、日本の小中学校の先生の方が献身的であり本当に一生懸命やられています。日本の教育レベルは平均値としては高いのですが、個性がつぶされているのではないでしょうか。それから、アメリカは大学に入ってから卒業までがすごく大変です。日本では高校までは一生懸命勉強したのに、大学に入ることがゴールになっている様です。アメリカは大学くらいから日本と比べ、明らかな差がでてきます。ですから大学の改革も日本をよくするために非常に重要ではないかと思います。
日本は大変豊かになっただけでなく、素晴らしい自然・文化に恵まれています。
ソフトパワーと言いますが、軍事力やお金でなく文化や歴史などの日本の魅力を海外に示すことが、今日本が求められていることだと思います。日本が個性を尊重して多様性を受け入れる国になれば、これから必要とされる人材も育ってくると思います。また、歴史や文化を含めていうと日本ほど恵まれている国はないので、是非とも自信を持って、教育についても世界に誇れるようになっていただきたいと思います。
質疑応答
Q.小学校で働いています。日本の小学校現場には、文部科学省学習指導要領において、教育の到達目標というものがあります。それぞれの地方が独自性を持って教育しようと思ってもそれがなかなかできないのが現状ですが、将来の日本を考えた時に、青木先生はどのようにお考えでしょうか。
A.これから多様性を持った人を育てようとする時に、国としての決定事項は最小限にして欲しいと思います。県レベルでまたは、それより小さい行政の単位での決定をしていって欲しいと思います。例えば、学校の教科書でいうとその地域にあった教科書で子どもたちが学ぶことも大切ではないでしょうか。その地域にあったものにすることで、自分たちが誇れるものを良く理解することができるのです。義務教育ですので、地域ごとの差が出てくるのではという親の意見を心配する文部科学省の役人もいるかもしれません。しかし、教育第一と考えるのであれば、居住環境を変えるなど自らが選ぶ自由選択をしていくことも必要ではないかと思うのです。