“落語”は江戸時代に生まれたものですが、長い年月をかけて磨き上げられ、平成の今日まで人々に愛され続けています。そこまで人を惹きつける理由は何か?単にユーモアで楽しませるだけではなく、人間の本質を上手く捉え、時代を超えて共感を呼ぶからではないでしょうか。楽しい笑いの中から、先人たちが残した困難に打ち勝つ知恵や、心に深く響く学びのヒントを掴みとることさえできるのです。
そこで、『役に立つ落語 ソニー・エンジニアが名人芸から学んだこと』(新潮社)の著者で落語に精通されている山田敏之先生(ソニー学園湘北短期大学教授)に「落語で受け継がれる学びのポイント」を伺ってみたいと思いました。人間力を磨き、生きるヒントに、また子育てや教育などのご参考にどうぞ。
― 『子は鎹(かすがい)』ってどんな噺なのですか?
熊五郎は滅法腕のいい大工なのですが、酒と女にうつつを抜かしてばかりいるので女房も愛想を尽かし、一人息子の亀吉を連れて夫婦別れしてしまいます。これ幸いと熊公は女郎上がりの女を家に引っ張り込んだのですが、この女は家事といっては何ひとつできず、間もなく男を作って勝手に飛び出してしまいました。そこでやっと己の非に気づいた熊さん、心を入れ替えて仕事に励み、数年のうちに立派な棟梁(落語では江戸っ子風に“とうりゅう”と発音します)になります。
ある日木場へ材木を見に行く途中、思いがけず息子に出遭いました。聞けば別れた女房はまだ独り身、賃仕事をして細々暮らしながら子どもを育てているとのこと。その偶然の邂逅がきっかけとなって、めでたく夫婦が元の鞘に納まるという、ちょっと人情噺めいた筋書きです。
― でも何故「子は鎹」というのですか?
ちょっと説明を端折り過ぎましたね。久しぶりに息子に遇っても熊さんは仕事中で、ゆっくり話もしておれません。そこで何がしかの小遣いを与えて、翌日鰻をご馳走しようと約束し、母親には内緒だよと固く口止めします。しかし亀吉は家に帰ると隠し持ったお金を母親に見つかってしまい、盗んだのではないかと問い詰められます。父親との約束を守ってなかなか口を割らないのですが、業を煮やした母親に、「家を出るとき持ってきたお父つぁんの玄翁(げんのう・・・解説編参照)で打(ぶ)てば、お父つぁんがお仕置きするのと同じだから」と脅され、泣く泣く白状します。
翌日約束どおり鰻屋の二階で父と子が語らっているところへ、母親もそっと様子を窺いに来て、久しぶりに夫婦の対面が叶いました。ぎこちない他人行儀な会話にじれったくなった亀坊がうまく仲を取り持って、結局元どおり夫婦に戻ることになったというわけです。
母「三年ぶりにお前さんに逢って元のようになれるのも、この子があればこそ、子どもは夫婦の鎹(解説編参照)ですねえ」
亀「あたいが鎹だって? あァ、道理で昨日玄翁で打つと言った」
というオチから、この題名がついたのです。決して上等のオチとは言えませんが、それでも後味の良い噺であることは変わりません。

― 女手一つで子どもを育ててきた苦労が報われたといえますね。
落語の中にはぐうたら亭主にしっかりものの女房というパターンが多いのですが、この母親もよく出来た人です。ひどい仕打ちを受けて離縁されたのに、「お父つぁんが悪いんじゃない、お酒が悪いんだ」と子どもにも言いきかせ、再婚もせず、子どもをきちんと躾けながら育てています。亀吉を叱るときにも、ちゃんと父親を引き合いに出しているところなんか感心しますね。子どもを躾けるときの父母の役割分担みたいなものがあって、本来なら父親が叱るべきところを、母親が代行しているのだというニュアンスをうまく表現しているのです。
父親の方も一時は身を持ち崩したものの、立派に立ち直り一人前の棟梁になったのですから、これも捨てたものでもありません。その間子どものことを思い出してホロリとすることも度々あったと述懐しています。ここでは紙数の都合で細かい紹介はできませんが、たとえば六代目三遊亭圓生などの名演を聴けば、庶民の暮らしの中に通う温かい夫婦や親子の情をたっぷり堪能できるでしょう。
― 昔は家庭における躾教育がしっかりされていたのですね。
子どもが人倫に背いたことをしたと思い込んだ母親が、それを毅然とした態度で叱る様子には、現代の親たちが忘れかけている家庭での躾の大切さを思い起こさせるものがあります。
人が人として守らねばならぬことを、幼いときから親がきちんと躾けるのはとても大切なことです。昔はこうした家庭教育がごく当たり前に行われていたのでしょう。家庭だけではなく、近隣の社会全体が子どもを躾ける共同体のような性格を持っていたともいえます。しかし、最近では家庭や社会が受け持っていた役割がすっかり軽くなり、その欠けた分を補うことが学校教育に求められるようになっています。
今私は短期大学で日々大勢の若い学生と接していますが、今の短大では学問を教えることと並んで、社会の中に生きる人間としてのあり方の基本を教えることも大切な教育の一つとなっています。しかしそういった基本こそ幼いうちから自然に教育することが大切なのです。何故ならそれは学問的な知識よりずっと心の奥深くに形成されるべき資質だからです。
そのためにも昔のような家庭や近隣の教育力の復活を期待したいものです。また一方では、子どもたちが多くの時間を過ごす幼稚園や保育所においても、人の踏むべき道をいかに上手く教えるかが問われるように思います。「ソニー幼児教育支援プログラム」の中で、「人としての守る道を身につけ、ものを大切にする心、感謝する心、思いやりの心などを育む」ことを、「科学する心」育成の一つの要素に挙げていることの意味をもう一度よく噛みしめてみましょう。
(挿絵:田中勇)
※もっと落語を楽しみたい、さらに理解を深めたい方はコチラもどうぞ。


